青い空がよく似合う町のシンボル・大きな関所門をくぐりぬけ、さぁ「福島関所」へ参りましょう。中山道のほぼ真ん中にあるこちらの関所は天下の四大関所のひとつです。
関所は、江戸時代に参勤交代の大名行列や商人、旅人など中山道を行き来する人々が必ず通らねばならない場所でした。まずびっくりするのはそのロケーション!西側には断崖絶壁の木曽川、東側には急な斜面をもつ山。そこに挟まれた狭い敷地に置かれ、何人たりとも勝手に抜けられない厳しい取り締まりをするには絶好の場所であったのです。そして今、こちらを訪れる皆さんがびっくりするのがもうひとつ・・・ガタンガタンゴォー・・・この大きな音は何!?関所のすぐ横を「特急しなの」などの電車が通っているのです。電車の本数がごく少ないので見えるかどうかは運次第ですが、江戸時代の関守がこの光景を見たら「天下の福島関所を破ろうとはいい度胸だぁ!」と槍やさすまたを持って追いかけることでしょう。
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さて、馬に乗ったままでも通り抜けられるという復元された東門をくぐりぬけると、国の史跡にも指定された「福島関所跡」になります。今は芝生などできれいに整備されたこの場所に関所があったんですね。ここには四角い穴が空いていて、思わず入ってみちゃいました。こちらは、当時、井戸があった場所なのです。急峻な中山道の長旅をしてきた人々や馬たちは、まさに生き返ったような思いで、この井戸水で喉を潤したことでしょう。今でもこの近くからは地下水が染み出してくることもあるんですよ。
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「こんにちは、いいお天気ですね。」復元された西門をぬけ、受付の方の笑顔に迎えられ、いよいよ「福島関所資料館」に入ります。こちらでは、関所(上番所・下番所・勝手)を模した建物の中に、関所通行にまつわる資料などを展示しています。私の後ろの幔幕(まんまく)や提灯に染め抜かれた、まるいちの紋所(もんどころ)は、代々の関守(せきもり)を幕府から任され、木曽の地を治めた代官でもあった山村家の家紋です。関所が設置されたときから廃関されるまでの約270年間、山村家が守り通しました。このように1つの家だけで関所を守ったのは大変珍しく、幕府からも一目置かれた存在でした。幕府の大切な役所である福島関所を守るという責任と誇りが、この提灯や幔幕にも示されているのですね。
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関所で取り調べを行なう場所には、下番所と上番所があり、私の座っている場所が上番所です。下番が取り次ぎ、上番がその報告に間違いがないかチェックを入れます。
上番「手形を見せよ。」
旅の者ら「松平能登の守様のご家中、井野猪右衛門様のおん母君、ご内助、ご子息にあらせます。父君、やまいにて見舞いに帰られる由、お通し願います。」
上番「その方ら面をあげい!この手形、どうも怪しいのぅ。改め姥よ、この者達を改めよ〜。」
と言った具合に、特に女性の取り調べは厳しく、裾をめくり、髪をこわして改められました。たとえやましいところが何もなくても、みんなどきどきして通ったことでしょう。空港でパスポートや手荷物のチェックを受けるときの「ブザーよ、鳴らないでー。」と祈るような気持ちでしょうか。
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福島関所跡の西門・東門をくぐりぬけるこの道は、今では通学途中の小中学生がわいわいと行き交い、犬とお散歩するおばあちゃんがここのベンチで一休みしてからまたゆっくり歩き出していきます。関所がそのお役目を果たしていた時代は、怪しいものが通り抜けぬよう、常に役人が目を光らせていたのですから、もちろんこんなにのんびりした雰囲気はなかったでしょう。しかし、この町に暮らす人々が、この関所から望む木曽川と福島の町並みと山々の景色がずっと続く穏やかな日々を願う気持ちはきっと一緒のはずです。関所を守っていたお役人もここから美しい景色を眺めつつ、今日も平和な一日でありますようにと願いながら、願行寺の鐘6つ(午前6時頃)を合図に、毎朝関所の門を開けていたことでしょう。
皆さんも、中山道132里(約520km)を歩いた旅人や江戸へ行く大名、また、関所を守った山村代官や関所の役人になったつもりで、こちらへお越しになってみてください。きっと新たな発見があることでしょう。
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4月〜11月 |
俳句展・写真展
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